●声質って何ですか? 声色とは違うんですか?
声質とは、機序によってとらえられた声のことです。
機序、つまり、あそこをああすればこうなる、という物事の仕組みの順序立てですね。
発声器官をあんなふう動かすと、こんな声が出る。
こんなふうに動かすと、あんな声が出る。
たとえば、声帯を過伸展させると「裏声」が出る。
これは、もうほとんど全員に起こる機序です。
因果関係がハッキリしていて、とても科学的です。
ただ、機序という言葉はあまりなじみがないので、「フォーム」と考えてください。
つまり、声質とはフォームによってとらえられた声のこと、です。
声質と似た言葉に「声色」があります。
「声質は変えられないけど、声色なら変えられる」という意見も散見しますけど、このふたつって何が違うのでしょうか?
じつは、何も違いはありません。
あえて言うならば、視点が違う、といったところでしょうか。
声を、フォームや周波数など具体によって捉えることが「声質」です。
声を、クオリアといった感覚で捉えることが「声色」です。
とある声を2つ聞いたときに、「あっ、この声は違う。この声は同じだ」と、瞬時に聞き分けることができるだろうと思います。
人には、声を聞き分ける能力がそなわっているからですね。
このとき人間は、声を意識的に周波数解析することはできません。
科学的には把握できないのです。
「なんとなく温かい声だから」
「冷たい声だから」
クオリアですね。
声色として把握していることになります。
アナログな存在である人間は、感覚的にしかとらえられないのですね。
声練屋は声を、クオリアではなく、フォームでとらえたいと考えています。
クオリアで声をとらえると、たとえば「声区」などという、おかしなタイプ分けが、起こります。
教育的な西洋音楽では、高い声、低い声などで分けるのですけど、これはおかしいと思うのです。
同じフォームで出された声は、高かろうと低かろうと、同じ声です。
高い声どうしでも、別のフォームで出された声は、やはり別の声です。
声練屋は、自分にふさわしい声質の獲得を目標に掲げています。
あえて「声質」という言葉をもちいているのは、やはりこだわりがあるからです。